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あの時、私の安否情報も流れた
 昨日で阪神・淡路大震災から12年が経った。あれから
私の周りでは様々なことがあり、おまけに私自身、物忘れ
がひどくなったせいか(主治医によると、飲んでいる薬の
副作用もあるということだが)、覚えていることはほんの
少しである。でも、完全に忘れることはないだろう。

 私はこの大震災で大きな被害をうけた町で生まれたが、
当時はそこから遠く離れたある地方都市で働いていた。
地震自体はそこでもかなり強かったが、被害はなかった
のでいつも通りラジオを聴きながら朝食をとっていると
神戸や淡路島方面で大きな被害が出ているときき、
実家は大丈夫なのかと心配になりながら会社へ向かった。

 出社してしばらくは業務をこなしていたのだが、突然
同じ部屋にいる私の上司が「おい、いま○○○○
(私の本名)」を探していますって言ってたぞ!」と言った。
その職場ではいつもBGM代わりにラジオを流していた
のだが、安否の問い合わせ情報の放送で私の名前が流れた
のだ。私は上司に誰からの情報かと尋ねたが、私の名前に
だけ反応したのでわからなかったらしい。私は心配で仕事が
手につかないので、早退させてもらうことにした。

 早退して直ちに実家に電話した。つながらなかった。
親戚経由とかで聞いてみると、どうやら生存しているらしいとの
こと。そして夕方頃、ようやく家族と連絡をとれた。当時実家には
父と姉が住んでいた。そして実家近くの病院に祖母が入院していた。
みな無事だとのことでほっとした。

 その数日後の土日を使って、私は実家へ向かうことにした。
ちょうど、鉄道が私の実家の最寄り駅まで開通したというからだ。
私は被災地情報で水が不足していることを知り、単純な私は
自宅近くや駅前の店でミネラルウォーターのペットボトルを買い込み、
ショッピングカートにくくりつけて実家まで引っ張っていくこと
にした。どれだけ必要かも考えないで(- -; 

 実家に着くと父と姉、それに私と同じく実家を離れて働いていた兄が
いた。家じゅうのガラスというガラスがすべて割れており、柱が傾いていた。
寒い中、掃除などをしていた。父にペットボトルを渡したのだけれど
確か、どうしようかみたいなことを言っていたと思う。確かに数本では、
役に立ったかどうかわからない。とにかく家がこういう状態なため、
父と姉は地震直後から避難場所の体育館で寝泊りしていたという(ただ、
このとき私は大阪にある父が勤務していた会社の社宅で1泊した。そこも
老朽化していたので、床が傾いていたが)。

 その後祖母のお見舞いに行ってペットボトルを渡した。喜んでくれた。
ちょうど私のおじ(母の弟)が来ていて祖母の介護をしていた。

 震災当時のことで思い出せることはこれくらいだ。もっとじっくり記憶
をたどれば、まだまだ思い出せるかもしれないが……。でもあれから12年、
私の周りには色々なことがあり過ぎて、正直疲れているのである。自分に
鞭打って、生き続けているのである。

 あの時、誰が私の安否の問い合わせをしたのかは、未だわからないまま
である。
by imymegallery | 2007-01-18 09:27 | その他
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