★Information
※頻繁に変更されますので、まめにチェックしてくださいね!

カテゴリ:展覧会の感想( 23 )
「天体と宇宙の美学」展(滋賀県立近代美術館)その2……講演会「天体の図像学」
 私が「天体と宇宙の美学」展に行った日は「天体の図像学」と題する講演会があった
(講師:藤田治彦・大阪大学大学院文学研究科教授)。西洋における美術作品において、
天体、特に太陽と月の描き方においてある特徴が見出されるということがこの講演の
テーマである。以下、主な内容をつらつらと書き留めておく。

------------------------------------------------------------------------------

・パルテノン神殿の東破風(現在はほとんど原型をとどめない)は、南端に太陽神ヘリオス
 の戦車の彫刻、北端に月の女神セレネと馬の彫刻が配され、破風の底辺はオケアノス、
 つまり海である。これは朝になると太陽が海面から姿を現すということを表現している。
 そしてそれと対をなすものとして月がある。豊かな想像力による、宇宙の壮大な表現で
 ある。

・具体的なキリスト磔刑像は、はじめからあったわけではない。ナポリ大聖堂内の洗礼堂
 の天井モザイク画は、キリストのモノグラム(キリストのギリシャ語綴り
 ΧΡΙΣΤΟΣ)の最初の2文字ΧΡを組み合わせたものである(これが十字架にも見
 えなくもない)そして左右にΑとωを配し、ヨハネの黙示録の「私はアルファであり、
 オメガである。はじめであり、終わりである。」を表している。

・また、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂のモザイクは金色の十字架の交差点に
 キリストの顔が小さく描かれている。

・「天の聖壇」をテーマとした造形の例として、フランス・メッスのクールドール美術館
 所蔵の、メッスの教会の天井の要石(かなめいし)彫刻。要石のひとつには巫女とアウ
 グストゥス帝が描かれ、もうひとつには聖母子が描かれている。聖母は「黙示録の女」
 の特徴も備えた描写がされている。その描写とは、太陽の衣をまとい、その衣の裾で
 三日月を踏んでいる、というもの。

・ランブール兄弟によって創られた「美しき時祷書」にも「天の聖壇」の挿絵がある。
 上の例と同様のモチーフが描かれている。文字と挿絵、装飾のデザイン、レイアウトが
 優れている。

・また、ランブール兄弟と同時期の画家による「ブシコー元帥の時祷書」の中の「聖母
 の前で祈る元帥夫妻」も同じテーマ。ただしこの絵では「巫女とアウグストゥス帝」の
 代わりに元帥夫妻が描かれている。それからランブール兄弟は代表作「ペリー公の
 いとも豪華なる時祷書」で巫女とアウグストゥス帝を別画面にした3画面による
 「天の聖壇」の組絵を描いている。

・キリストの磔刑像が具体的に描かれるようになると、そこにも、十字架の左側に
 不気味な光を放つ太陽が、右に黒い月が描かれるようになった。太陽の出現の根拠は
 福音書の、正午から三時まで全地が暗くなったという記述に求められるが、月に
 関する記述はないので、太陽と月を並べて描く、あるいは両天体を対照的に配置する
 キリスト教以前からの造形の伝統などの理由の方が大きいかもしれない。

・ランブール兄弟の月暦画、12か月の風俗を描いたものであるが、太陽を渦巻き、回る
 ものとして表現している。これはケルト的な表現で、この絵はギリシャ・ローマの
 絵画表現とケルトの装飾表現を併用したもの。

・フランドル絵画は、西洋美術史上例に見ない絵画技法と様式の進化を遂げたといえる。
 中でもヤン・ヴァン・エイクは、キリストの磔刑場面の描き方に特徴がある。彼は
 そこに太陽と月を同時に描くというそれまでの形式をとらず、白昼の磔刑の場面を、
 福音書の記述を詳細に至るまで視覚化した。しかしながら、画面の左に太陽、右に月
 という形式を、太陽が画面の外、左側に輝いていることを暗示し、右側に白昼の淡い
 月を描くことで表現している。

・17世紀初頭のアダム・エルツハイマーの作品「エジプトへの逃避」。夜の風景を描いた
 ものであるが、星座、天の川など、天空を細密に表現している。
 さらにクロード・ロランはそれまでの形式を脱し、太陽を中央に置いた風景画を描いた。

・同じく17世紀、ルドヴィコ・チーゴリはサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂パオリーナ
 礼拝堂の「無原罪の御宿り」の聖母の足下に、クレーターで覆われた月を描いた。
 チーゴリはガリレオ・ガリレイの友人で、望遠鏡で観察した月という科学的表現と
 宗教的表現を混在させた。

------------------------------------------------------------------------------
 図版など詳細は「天体の図像学」(藤田治彦 著、八坂書房)をご覧ください。
(こちらに説明は書ききれないので。すみませんです)
[PR]
by imymegallery | 2007-10-16 23:02 | 展覧会の感想
ネタばれ注意「天体と宇宙の美学」展(滋賀県立近代美術館)その1
 昨日、滋賀県立近代美術館で「天体と宇宙の美学」展を鑑賞しましたので
感想を書きます。この展覧会は2007年11月18日(日)まで開催中です。いま
詳しい内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。









------------------------------------------------------------------
 芸術の秋は、一応芸術みたいなこともやっている私にとっては超多忙な
時期なのである。特にこの秋は東京での個展の準備のため、行きたい展覧会
も絞らなくてはならない、どこに行こうかとネットで調べていたら、この
展覧会の情報を見つけた。「天体と宇宙の美学」。私は最近、皆既月食を
見るなどして、宇宙やその中に浮かぶ天体の姿にとても心ひかれていたので、
迷わず行くことを決めた。

 この展覧会は「第1章 物語の中に描かれた天体」「第2章 太陽と月」
「第3章 天文学と占星術」「第4章 星空と宇宙の旅」の4つのテーマ
から構成され、作品が展示されていた。

             ・             ・             ・

 第1章の、J.J.グランヴィルの「彗星の大旅行」、エドワード・コーリー・
バーン=ジョーンズの「フラワー・ブック」の一連の作品は、その魅力的な
ファンタジーの世界に胸がときめくような感覚を覚えた。また、15世紀末の
アルブレヒト・デューラーのヨハネ黙示録を題材にした作品は、後述する
聖書の特徴的な世界観を描いている。

 第2章では、太陽や月が描かれた作品が展示されていた。その表現は様々で
あるが、太陽や月にこめた思いが強く感じられる作品が気に入った。具体的に
挙げてみる。高島野十郎「林辺太陽」の写実をつき詰めた末の画面中央から
放たれる崇高さ。浅野弥衛「Work 22」の軽妙洒脱、鶴岡政男「静かなる夜(山と
月と湖)」の黒く二重に見える月とぐにゃぐにゃした物体による不気味な世界、
高間惣七「月」の生き生きとした描写、鴨居玲「月に飛びつく男」の深い闇、
萩原英雄「道化師 No.8」の遊び心、深沢幸雄「月のマークのTシャツ」の美しい
色彩、高橋義治「春の夜の鳥」のカラフルで温かみのある色彩。
 あと、この章で特記しておきたいこととしては、
・太陽が月と重なり合う日食(日蝕)は、太陽と月の婚姻とみなされ、それは男性
 原理(太陽)と女性原理(月)の結合から万物が生じるという錬金術の思想を暗示
 していること。
・月は夢幻の世界、妖しい魔力、癒しなど実に多彩な表情を見せているが、いず
 れにしても多くの画家が不思議な魅力にひかれて描いていることは確かだ。
・大正3~4(1914~1915)年にかけて、恩地孝四郎、田中恭吉、藤森静雄によって
 作られた版画と詩の雑誌「月映」は、版画の味わいを生かした、是非手に取り
 たくなるような雑誌である。彼らの作品の中では、恩地孝四郎「ただよへるもの」
 の幾何学的なシャープさが印象に残った。

 第3章からの作品群からは、黄道十二宮に代表される占星術のイメージの豊かさ
とそれが芸術家に与えた影響の大きさがうかがえる。しかし昔は天文学と占星術が
密接に結びついていたからか、わりと理知的な印象を与える作品が多かった。
ジョセフ・コーネル「陽の出と陽の入りの時刻、昼と夜の長さを測る目盛り尺(メモ
レンマ)」、長谷川潔「幾何円錐型と宇宙方程式」、深沢幸雄「天空を計る」、柄澤齊
「星盗り」はその顕著な例である。

 第4章は惑星や銀河、星雲、流れ星などを描いた作品が展示されていた。この中にも
駒井哲郎「CONSTELLATION I」やスタンリー・ウィリアム・ヘイター「ブラックホール」、
吹田文明「星を抱くC」「白鳥座」、日和崎尊夫「小さな宇宙」、柄澤齊「洪水C」など、
宇宙の神秘に取りつかれたかの様な、そして私もそれらの作品に取りつかれてしまい
そうな作品が並んでいた。一方で、野村仁や金山明といった作家は、実際の天体観測から
作品を生み出していて興味深かった。

             ・             ・             ・

 近年では科学技術の進歩によって、宇宙の姿が少しずつ解明されているが、それでも
謎は多いし、また例え解明されたとしても宇宙の神秘性、美しさはいささかも減ること
はないと思う。私も宇宙をテーマにした作品を創りたいと思う。それは具体的な天体や
天文現象だけではなく、私が想像する宇宙、宇宙を構築することでもある。
 最後に、今回の展示で私が興味深いと思ったことは、版画技法による作品が多かった
ことである。特に木口木版の作品は、なかなかお目にかかれないだけにその美しさに
惚れ惚れした。私も木口木版の技術を習得して、作品を創りたいと思った。
[PR]
by imymegallery | 2007-10-15 23:15 | 展覧会の感想
「麻田浩 展」(京都国立近代美術館)
 先月31日に京都国立近代美術館で「麻田浩 展」を鑑賞しました。諸事情により
遅くなりましたが、感想を書きます。いま詳しい内容や批評を読みたくないという
人はここから下は読まないでください。
 なお「文承根+八木正 1973-83の仕事 展」も同時に開催されております。どちらも
9月17日(月・祝)までです。ご覧になりたい方はお早めに。



----------------------------------------------------------------
 麻田浩(1931-1997)は、日本画家・麻田辨自の次男として京都市に生まれた。
兄・麻田鷹司も日本画家であった。麻田浩は1954年、23歳の時に新制作協会展
に初入選を果たし、1963年31歳の時初個展を開催したのを機に画業に専念する
ことを決意した。以後画風を変えながら亡くなるまでの画家としての軌跡の
全容を初めて世に知らしめたのが今回の回顧展である。

 麻田浩の初期の作品群は、初期のアンフォルメルへの志向から、やがてシュル
レアリスムへと徐々に傾斜していくのだが、全体としては試行錯誤を重ねて
いるのが強く感じられるものである。ここには当時の京都における気鋭の
作家たちからの影響もあっただろうと思われる。

 そして1971年に、麻田浩はパリへと旅立った。しばらくは制作に集中できない
日々が続いたようだが、フリードランデル(Johnny Friedlander)の主宰する
版画研究所で版画制作を開始してから、本格的に制作に集中できるように
なったようである。私には、それとともに彼の作品は大きく飛躍を遂げたと
思った。彼のエッチングによる作品「赤い円」「原風景」は色味を抑えた、
乾いた赤土や砂で出来ているような世界の表現がとても良い。
 それとともに、油彩でも「原風景」をテーマとした一連の大作の制作が
始まった。特徴的なのは、縦・横同じ寸法の正方形、それも1辺が1mを
超えるような大作を多く描いていたことである。さらに、サイズが大きく
なっても大味にならず、水滴や地面のひび・くぼみ、鳥の羽根や昆虫などで
構成した引き締まった画面にしていることに驚異すら感じた。こうして独自
のスタイルを確立した作品がヨーロッパで高く評価されたのも、当然だと
思った。しかし同時に、心身ともに大変消耗したであろうということも、
容易に想像できる。

 1982年に帰国後、麻田浩は京都市立芸術大学の教授に就任すると同時に
自らも自身のテーマを深めるべく制作活動を続けた。パリでの作品の大きな
テーマであった、自然物で構成された「原風景」は、人工物を加えた「原都市」
へと発展していった。それはさながら廃墟や、古い標本が転がっている
実験室のようである。
 また、やはりヨーロッパの価値観にどっぷりつかったきたからであろうか、
キリスト教的主題にもより一層傾倒していくことになった(1991年に麻田浩
は、洗礼名ジャン・ピエールとして洗礼を受けている)。その代表作と
言えるのが大作「地・洪水のあと」である。1986年、京都の画廊でこの作品
1点のみを展示した個展が開かれたという。そして、この作品の裏側には、
フランス語で旧約聖書の「伝道の書」第1章の冒頭部分が書かれた。
 私はキリスト教者ではないので、あくまでも私個人の感想だが、この
「地・洪水のあと」には、洪水のあとにも新たな生命体がうごめいている
ように感じた。
 あと「御滝図」(兄に)という作品は、日本画でよく描かれる流れ落ちる滝
を描いたものであるが、これは単に日本画家であった兄へのオマージュという
意味を超えて、日本の風景を麻田浩風に、新たなる世界を示した作品だと
思う。

 1997年、麻田浩はアトリエにて自ら命を絶ってしまった。今回の展覧会では
アトリエに残されていた未完の作品「源(原)樹」も展示されていた。木の幹には
蛇が巻きついていて、画面にはいくつもの球が漂っていた。この絵を見た時、
私は「完成させてほしかった」と思った。疲れ果てていたとしても。

-------------------------------------------------------------------
(9/15追記)
・美術館の公式サイト上で「電子メール討論会」なるものが行われています。
 「この作品が展示されていない!」など、興味深いメールが集まっており
 ますので読んでみてください。
・この展覧会の最終日、9/17(月・祝)の13:30~17:00に、
 シンポジウム「今、なぜ麻田 浩なのか」が開催されます。麻田浩のことを
 より深く知りたい方は是非行ってみてください。

いずれも詳細は京都国立近代美術館公式サイトをご覧ください。
[PR]
by imymegallery | 2007-09-14 20:57 | 展覧会の感想
「我が文明:グレイソン・ペリ-」「パッション・コンプレックス」(金沢21世紀美術館)
 先月25日に金沢21世紀美術館で「我が文明:グレイソン・ペリ-」「パッ
ション・コンプレックス:オルブライト=ノックス美術館コレクションより」展を
鑑賞しました。諸事情により大変遅くなり、一度は書くのをやめようと思って
いましたが、記録のために感想を書きます。
 「我が文明:グレイソン・ペリ-」はすでに終了しています。「パッション・
コンプレックス」は11月11日(日)まで開催中です。いま詳しい内容や批評
を読みたくないという人はここから下は読まないでください。




-------------------------------------------------------------------------
 今もあちこちに武家屋敷が残る加賀百万石の城下町・金沢。ここに金沢
21世紀美術館が開館して3周年を迎えたという。私がネットで下調べをした
限りでは、色々面白い企画をやっていて来館者の評判も良さそうだった。
しかし自宅からは遠くしょっちゅう足を運べない所なので、夏休み期間に上記
2つの大きな企画展の会期が重なっているのを狙って遠征した。

 JR金沢駅からバスに乗って、デパートやオフィスビルが立ち並ぶ金沢の
中心街・香林坊のバス停を降りて歩くこと約10分。妹島和世と西沢立衛の
設計によるガラスを多用した円形の建物が現れた……、と思ったら、なんと
建物の壁面が朝顔で覆われていた。なんでも「明後日(あさって)朝顔プロ
ジェクト2007」の一環の展示(?)のようである。それを見て、実習室のベラン
ダに朝顔を植えたいと言って実行してしまった、とてもかっこいい(?)、今は
亡き私の大学時代の後輩を思い出した。

 他の美術館の規則正しい動線に慣れてしまった私は、入館してしばらく道
に迷った。建物はガラスを多用しており、館内が明るかったのが救いだった。

 まず、「パッション・コンプレックス」から。
 金沢市の姉妹都市であるアメリカ・バッファロー市の、オルブライト=ノッ
クス美術館は、常にコンテンポラリー・アートの作品を収集している美術館
だそうだ。今回はそのコレクションの一部が展示されていた。
 絵画・写真・立体・映像など多岐にわたる作品が展示されていたのはよ
かったが、好き嫌いは勿論のこと、興味を持てる・持てないが私の中でかな
りはっきり分かれてしまった。

 私にとって「好き」「興味を持てる」「今後も忘れないであろう」作品をいくつ
かあげてみる。ダン・フレイヴィンの蛍光灯を使い美しい光を放つミニマリズ
ムの作品、モナ・ハトゥムの自身の居場所=地球の不安定さを示すような
砂地をバーでひたすら掃き清める作品、自画像について新しい解釈を提示
したジリアン・ウェアリングとジョン・コプランズの作品。特に自画像の作品は、
ウェアリングが家族の古い写真そっくりに変装し(しかもいくらか自身の影が
感じられる森村泰昌と違って、ウェアリングの場合は精巧に変装しきってい
る)、コプランズは自分の身体の一部分(手や足など)を毛穴、体毛、しわな
どまで剥き出しにしてみせる。これらは高い技術があってこそ出来る作品で
あり、その技術とテーマを上手く融合させたという点で私は高く評価する。

続いて「我が文明:グレイソン・ペリ-」を鑑賞。

 グレイソン・ペリーは、現代社会の諸テーマを主に陶芸作品で発表してきて
いるが、陶芸に限らず彫刻、写真、版画、服のデザイン、果ては女装まで、
様々な技法で強烈なインパクトを与え続けている作家である。
 彼が主に手がけている陶芸作品は、ありがちな「工芸作品」の枠におさまら
ない。表面に直接ドローイングしたり、写真を転写したり貼り付けたり、文字を
書き込んだり。そのイメージがあってこその作品である。彼自身、性や暴力や
政治や社会批判といったテーマとセラミックが融合しているところに自分の作
品があると言う。

 展覧会ポスターの表面を飾った陶芸作品「何がいやなのか?」は、金ピカの
壷にブランド物の靴や鞄などの消費財を描き込み、現代の消費社会を皮肉っ
ている。また「美術館は君に良くないよ」という作品は、壷にタイトルの文がそ
のまま日本語で書かれている。さらにこれと同様のメッセージが込められてい
る作品として「テート・ギャラリーの前に立つクレア」という写真作品がある。
ここではペリー自身が女装し、美術館の前で「NO MORE ART」と書かれた
プラカードを持って立っている(ちなみにクレアというのは、彼が女装した時の
呼び名である)。

 このように、彼は世相を大変鋭くとらえ、挑発的で、アイロニーとユーモアに
富んだアーティストであり、それが彼の一番の特長だと思うが、決してそれだ
けではないのを見せつけたのは、今回展示されていた「陰翳礼賛」である。こ
れは言うまでもなく谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」へ捧げる作品である。イメージの
重なりが、彼の壷の作品の中でもひときわ美しかった。

 彼が影響を受けたアーティストとして、ヘンリー・ダーガー(当ブログ内の記事「ヘンリー・ダーガー展」を参照されたし)
の名が挙げられていた。確かに、ある意味猥褻(?)な印象を受けるイメージ、
強烈な創作のエネルギー、社会への関わり方など、なるほどと思う点もあるが、
ペリーの方がずっとアーティストとしての自覚があるし、今はより一層批判の
材料に事欠かない世の中になってしまった。今後、彼の創作活動はますます
過激なものになっていく予感がするし、また、そうあってほしいと思う。
[PR]
by imymegallery | 2007-09-12 22:39 | 展覧会の感想
ネタばれ注意「"世代を超えて"いのちを考える-西村正幸とともに-」
今週の日曜日に伊丹市立美術館で「"世代を超えて"いのちを考える
-西村正幸とともに-」展を鑑賞しました。ので感想を書きます。
この展覧会は8月5日(日)まで開催中です。いま詳しい内容や批評
を読みたくないという人はここから下は読まないでください。




--------------------------------------------------------------------------------
 伊丹市立美術館は、美術と社会との関わりを考えることをテーマに、挿絵、特に
諷刺画のコレクションをするとともに、2001年から「いのちを考える」というコン
セプトで現代美術作家による展覧会とワークショップを続けているユニークな美術館
である。今年は西村正幸を迎えている。

 西村正幸は、聖書や現代の社会問題をモチーフとした作品を創っているそうだ。
今回の展示では、家族を主なテーマをしている。

 展示は2階の南北2つの展示室に分かれていた。まず南展示室から。「残された家族
(イラク・チルドレン#2)」は、家型・王冠型に切り取られた黒板を壁に配置し、以下の
ような説明をつけてあった。
「黒板に、チョークで、家族との楽しく平和な思い出を描いてみてください。描くとこ
ろがなければ、黒板消しで前の人が描いた絵を消してから描いてください。」
 その下にやや小さめの字でこう付け加えてあった。
「イラクでは、黒板消しで簡単に消せるように、(爆撃などによって)子どもたちの
いのちが失われています。」
 これを読んで、私は黒板消しを使うことができなかった。鑑賞者によって描かれた
人や動物たちの絵のわずかなすき間に、小さな女の子の顔を描いた。

「スターバト・マーテル」のシリーズは、#3;"ママ…パパ…"、#4;"涙の日"、
#5;"クライ・フリーダム"の3つの十字架の形をしたオブジェが印象に残った。桧の木
で作った十字架の中に電球を入れ、タイトルが書かれた和紙を貼った枠をかぶせて、
楠の枝を立ててある。墓標を思わせるこの十字架の中に、か細い木の枝を立てる
ことで、人の命のはかなさと、それでもなんとかして命のともしびを守ろうという、
祈りのようなものが表現されていると思った。

「カナ;2006年7月30日の記憶」のシリーズでは"消え失せた家族 #2"を見てショックを
受けた。家型の銅に緑青を塗りたくられた作品は、まるで大雨とともに何もかもが
消え去っていくように見えた。

 そしてまた家型の黒板が並ぶ。この「家族の記憶」シリーズにはこんな説明が
添えられていた。
「IRAQ BODY COUNT」のサイトで公開されているイラクで亡くなった民間人の最小限、
最大限の人数です。
 約1ヶ月前の死者のかずが毎日更新されています。
 米国政府が、テロリストを殺害したとして公表している内の多くは、民間人の
女性と、そして子どもたちと言われています。
 死者の数などカウントしたくありませんが、毎日数を書き替えています。」
 ちなみに私が見た時の人数はMin66807、Max73120であった。

 そしてその黒板の下の方には、日本国憲法第9条を書き写すための机があった。
 早速椅子に座って書き写してみた。
 私が条文を書いた紙は、ほかにここを訪れた人が同様に書いた紙とともに、
小さな紙に縮小印刷されて、あとで訪れる人が持って帰れるようになっていた。
 そこには、書くことによってこめられた様々な思いも集められている。


 北展示室は、ワークショップ「黒板家族を作ろう!」で作られた作品が
展示されていた。
 色々な大きさの黒板を作って、切ったりつないだりして家族や身近な人の
人形を作り、その人のことを思い浮かべながらチョークで表情を描き入れ、
自分だけの黒板家族をつくる、というものだった。
 作品を見て思ったのは、予想していた以上に力作が多かったということだ。
理由は、1つには家族の人数が随分多かったことがあげられる。4人や5人は
当たり前、動物や植物もいたりする。大家族が多かった。
もう1つは、家の内部まで作り込んでいる人がいたことだ。1階と2階を作り、
らせん階段でつなげるというのは、かなり工作が上手い人でないと難しいことだ。


 けして大きくはない展示ではあったが、コンセプチュアルで、しかも今の社会
問題に切り込んだ作品群であったため、色々と考えさせられるものがあった。
鑑賞してよかったと思う。

※IRAQ BODY COUNT……http://www.iraqbodycount.org/
 日本語による説明ページはこちら(「市民ライター通信」内のページ)
 http://www2.ocn.ne.jp/~mmwriter/new_ver/contents/IBC_background.htm
[PR]
by imymegallery | 2007-07-28 23:03 | 展覧会の感想
ネタばれ注意「舞台芸術の世界~ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン」
今週の日曜日に京都国立近代美術館で「舞台芸術の世界~ディアギレフのロシアバレエと
舞台デザイン」展を鑑賞しました。ので感想を書きます。
この展覧会は京都では7月16日(月)まで開催され、そのあと
東京都庭園美術館(2007年7月26日(木)~9月17日(月))、
青森県立美術館(2007年9月29日(土)~10月28日(日))
へ巡回します。いま詳しい内容や批評を読みたくないという人はここ
から下は読まないでください。




--------------------------------------------------------------------------------
 20世紀初頭、興行主として名高いセルジュ・ディアギレフに関わる画家や文筆家ら
にが結成したグループ「芸術世界」によって、ロシアの先駆的な舞台芸術の試みがな
された。その中でも、1909年に旗揚げされた「バレエ・リュス」(ロシア・バレエ団)
は、音楽・美術・舞踊が一体となった総合芸術として、その後の欧米のあらゆる分野の
芸術に大きな影響を与え、今日まで語り継がれているという。

 私はバレエやオペラなどの舞台芸術に関しては素人である。だから最初この展覧会の
告知を知った時は、何故これが舞台芸術における「歴史的事件」なのだろうか、と疑問
に思っていた。

 その答えとして、アラ・ローゼンフェルドはこの展覧会の図録の中でこのような旨の
ことを言っている。それまでの舞台芸術は、伝統的・形式的な写実主義者の凝り固
まった概念によって舞台美術が作られており、例えば家具は客間でも貧しい男の家庭
でも同じもので、物語の背景や歴史的な文脈、何ら配慮が払われずにしばしば同一の
セットが使われていたのだ。
 それが、ロシアという国の歴史を土台とした新しいレパートリーの演劇やオペラが
上演されるようになって、衣装やセットを歴史の正確な解釈に基づいて衣装やセットを
デザインしたことでロシアの舞台芸術が発展しはじめたということだ。

 そして、才能のあるダンサー、振付師、前衛音楽家・美術家、が結集して作り上げた
のが「バレエ・リュス」という総合芸術集団なのであった。

 今回の展示は、舞台の映像記録がほとんど残されていないため、舞台や衣装のデザ
イン画、当時の衣装、記録写真、ポスターやプログラム、パリ・オペラ座の再現映像に
よる構成だったが、特に衣装やデザイン画は単独でも美しいものが多かったので、素人
の私でも見て楽しめるものだった。

そして、バレエ・リュスの大きな特徴として、同時期の美術やデザインのムーブメント
(アール・ヌーヴォー、未来派、ロシアン・アヴァンギャルドなど)と互いに影響を
及ぼしあっていたことがあげられる。

 特に、今回の展示でも多くのスペースを割いていたアレクサンドル・ブノワと
レオン・バクストという2人の美術家は、古典主義を受け継ぎながらより装飾的で、
華やかな色彩の衣装を作っている。レオン・バクストはデザイン画だけを見ても、
特に「『ディアナの踊り』の衣装デザインや「ワツラフ・ニジンスキーのための
衣装デザイン(バレエ『ナルシス』より)」など、生身のダンサーのための絵として
生き生きとした、美しい絵を描いている。

 そのほか、ジョルジュ・バルビエ、ロバート・モンテネグロの版画集は、どちらも
バレエ・リュスの天才的なダンサー、ワツラフ・ニジンスキーの官能的な魅力を
ビアズリーを思わせる耽美的な雰囲気を強調して描きだしており、私の目を引きつけて
やまなかった。また、イワン・ビリービンはロシア古来の美を追求した結果、歴史的な
深みのある衣装を作った。ナタリア・ゴンチャロワは、伝統的な文様と鮮やかな色彩を
大胆に用いた舞台デザインで独自の美を追求し、セルジュ・ズデイキンは彫りの深い
人物描写と大胆なデフォルメが印象的である(特に「衣装デザイン(ミュージカル
『クリスマスキャロル』より」の特徴ある造形はすごい)。セルジュ・チェホーニンの
衣装デザインは、幾何学的な図形を組み合わせて軽やかな造形美を生み出している。

 同時期の美術やデザインの影響がもっとも色濃く出ているのはポスターやプログラム
といった広告・宣伝のデザインであった。このように、舞台、衣装から広告、それに
単なる記録にとどまらない、舞台からインスパイアされたかと思うような写真集や
版画集や磁器に至るまで、優れた芸術を生み出したのが「芸術世界」であり、バレエ・
リュスであろう。

 当時の舞台の記録映像はほとんど残っていないので、展示室内には、のちにパリ・
オペラ座により再演された「薔薇の精」「ペトルーシュカ」「牧神の午後」が放映さ
れていたが、小さいか画質が良くないかで細かいところまでよく見えなかったのが少し
残念であった。ただ、ダンサーの素晴らしい舞踊など全体としては楽しめるものなので、
展覧会へ行った時は是非見てほしい。

 約190点もの「芸術作品」ともいえる資料を集めた展示には感嘆するしか
なく、私はこの豪華な作品にもっと長く囲まれていたかったと思うのであった。
[PR]
by imymegallery | 2007-06-27 23:37 | 展覧会の感想
ネタばれ注意「ヘンリー・ダーガー展」
先週の火曜日、デザイン・フェスタを終えて京都へ帰る途中に原美術館で
「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語-夢の楽園」展を鑑賞しました。
諸事情により書くのが遅くなりましたが、感想を書きます。
 この展覧会は7月16日(月・祝)まで同館で開催中です。いま詳しい内容や
批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。



--------------------------------------------------------------------------
 全15巻、約15000ページにも及ぶ小説「非現実の王国で」。そしてその執筆と並行
して長さ3m近くにもなる作品を含む数百枚の絵を、誰に見せることもなく半世紀
以上にわたって書き続けた孤高の人、ヘンリー・ダーガー。

 私は学生時代にアート・ランダムシリーズ(京都書院)でちらりと見ただけで、
長い間彼の名前を忘れていたが、いつものようにインターネットで美術館情報を
探していたらこの展覧会があることを知り、ちょうどデザイン・フェスタで東京
へ行くことになっていたので、その帰りに疲労を押して原美術館へ行った。

 小説「非現実の王国で」のあらすじは、悪魔を信奉して子供を奴隷にして虐待
しているグランデリニア国と、キリスト教を信奉する国々による連合国軍との
戦いを描いた壮大なスケールの物語だそうだ。そして、この小説の執筆と並行
してダーガーは、連合国軍の勇敢な少女の戦士たち、ヴィヴィアン・ガールズを
中心とした絵を描き続けた。それらは単なる小説の挿絵ではなく、ダーガーの
内部に広がる妄想、感情を紙いっぱいに描き尽くした世界なのである。

 ダーガーが描いた、繰り返される戦いと虐待そして殺戮を描いた絵、その中でも
輝き続けるヴィヴィアン・ガールズをはじめ、羊の角や蝶の羽根を持つ子供たち
の群れの絵、そして画面いっぱいに花が咲き誇る楽園の絵……それらを目の当た
りにして、人間の持つ憎しみや怒りなどの邪悪な感情や、子供たちを愛しいと
思うけれどもそれだけでは説明できない複雑な感情をこれらの絵に昇華したの
だろう、と思った。その綺麗な色彩と、細かく描き込まれた絵の数々は、ダー
ガーの全人生の結晶だと感じたくらいに私を圧倒するものがあった。

 ダーガーの小説と絵は、死ぬ直前に彼の住んでいたアパートの大家であった
ネイサン・ラーナーによって日の目を見たとのこと。私はアパートの一室に
こもって孤独を貫いて小説や絵を書き続けたダーガーの人生に生きる力、絵を
描き続ける力をもらったような気分になったと同時に、この偉業を後世に
伝えてくれたネイサン・ラーナーにも尊敬の念を抱いた。

 私は彼の世界を真似て描くことはできないし、彼の生き方も真似できないけれど、
彼の世界を垣間見て受けた衝撃は私の心の中でじわじわと大きくなっていくばかりだ。
[PR]
by imymegallery | 2007-06-03 23:06 | 展覧会の感想
「20世紀の夢-モダン・デザイン再訪」展ほか
 先週の金曜日に、サントリー・ミュージアムで「20世紀の夢-モダン・デザイン再訪」
を、そして大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室で「[5つ星デザイナーの饗宴] 国際
招待ポスター展」を鑑賞しましたので、感想を書きます。
 「20世紀の夢-モダン・デザイン再訪」は7月1日(日)まで「[5つ星デザイナーの
饗宴] 国際招待ポスター展」は6月24日(日)まで開催中です。
 いま詳しい内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。

--------------------------------------------------------------------------










 今回は大阪で共催されてデザインに関する2つの展覧会を鑑賞した。まずは
天保山のサントリー・ミュージアムで開催されている「20世紀の夢-モダン・
デザイン再訪」から。この展覧会は20世紀のヨーロッパにおけるモダン・デザイン
運動の流れを所蔵作品から展示することによって一望するものである。

 20世紀のヨーロッパ各国におけるデザインの運動は、フランスのアール・ヌー
ヴォー、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動、オーストリアのウィーン工房、
ドイツのバウハウス、オランダのデ・スティル、そしてロシアン・アヴァンギャルド
などが代表的なものである。私は大学時代デザインの勉強をしていたので、展示
作品をたどっていくとさながらその頃に学んだデザイン史を復習しているような気分
だった。

 これらの運動に共通した理念は、装飾過多で一部の富裕層だけのものであった
芸術から脱却し、自らのデザインを生活芸術と位置付けてより多くの人々に質の
高いものを提供し、さらに生活そのものを良いものに変えていこうと提案するもの
であったと思う。しかし、こうしてあらためて振り返ると、根本とする思想は
同じでも表現は様々であると思った(もちろん、似ている部分も多いのだが)。
 そして、今では多くの人々をその美しさで魅了しているアール・ヌーヴォーや
アーツ・アンド・クラフツの作品は、当時は美に重きをおく余り量産ができなかった
ため一般大衆にまで浸透しなかったという。理念の実現の難しさを痛感した。

 そして、私はこれらの作品群を鑑賞して考えさせられたのは、今見ても痛いほど
感じられるその革新性と完成度の高さを目の当たりにして、私には今後何が作れる
だろうか? ということだ。今回展示されていたデザイン運動は、その後何人もの
デザイナーに受け継がれ、さらに発展しているのだ。私は人の心を豊かにさせ、
喜ばせるという点で、何か画期的なことができるだろうかと、思いをめぐらせた。



 天保山を後にして、地下鉄を乗り継いで心斎橋の大阪市立近代美術館(仮称)心斎
橋展示室へ行った。今回の展覧会は昨年行われた大阪芸術大学主催のポスターコンペ
ティション入賞者の展示ということであり、世界各国から多種多様な表現のポスター
を鑑賞できたのは嬉しい。いや、各国というよりは、各デザイナーごとの個性が感じ
られるものと言った方がいいかもしれない。
 個人的に心に残った作品をいくつかあげておく。ラルフ・シュライボーゲルの「絶版」
はメッセージは明確に伝わってくる。永井一正のLife(2004)シリーズは緻密で繊細な
表現がいい。それから、カン・タイクンの様々な色と大きさの円で構成された「カラ
フル上海」のポップな感覚、同じくカン・タイクンの東洋的表現の粋を集めたような
「エバーグリーン遺産」「パンタ・レイLtd」。ペッカ・ロイリの「ホール・イン・ワ
ン」は人間の存在というものを考えさせてくれる。ピエール・ベルナールの「地球を
思う」はラフな表現に強さを感じる。そしてイストヴァン・オルツの作品はどれも
視覚表現の楽しさを伝えてくれる。
 惜しむらくは、せっかく有料で展覧会をするのであるから、たとえばポートフォリオ
形式にして展示作家の活動についてもっと深く掘り下げたものを見せるとか、大阪芸術
大学での講演会や展覧会のビデオを放映するなど、工夫してほしかった。単にポスター
を展示するだけの展覧会なら、無料で入れるDDDギャラリーでもよくやっていることなので。

 展示室のあるビルを出ると、隣は東急ハンズ心斎橋店である。先ほどからの疑問に
ついてあれこれ考えながらそこに立ち寄って、私は作品制作のための材料を山ほど
買ってしまった。そして、私が強く描きたい、作りたいと願うものを創作していこうと、
とりあえず答えを出した。
[PR]
by imymegallery | 2007-05-21 12:26 | 展覧会の感想
「日本とドイツの美しい本2005」展
 先週の火曜日、奈良県立図書情報館で「日本とドイツの美しい本2005」展
を鑑賞しました。諸事情により書くのが遅くなりましたが、感想を書きます。
この展覧会は3月4日(日)まで同館で開催中です。会期終了が迫っている
ため、鑑賞したい人はお早めに。


---------------------------------------------------------------------
 奈良県立図書情報館は「図書情報館」というだけあって単なる図書館の枠を
超えた施設であり、インターネット端末、電子出版物やWebページを作成する
ことができる機器、語学などの自習ができるLLルーム、映像の撮影・編集が
できるスタジオやオーサリング・ルーム、さらにセミナールームや220人まで
収容できる会議室まである。
 そんな大規模な設備を誇る所の一部のスペースを使って展示されていた日本
とドイツの美しい本を1冊1冊手に持ってページをめくってみた感想は、凡庸
だがやはり「紙のようなアナログな素材を使った書物はやっぱり素敵」という
ことだった。

 まず、いくつか印象に残った本の感想。

◆日本の本

「平野区誌」
この「平野区誌」は大阪市平野区という小さな行政区分であるにもかかわらず、
他の書籍に匹敵するきちんとした編集がなされている。理由は、
(1)古代からの歴史もさることながら、現在の暮らしぶりや諸問題などが
充実して書かれている
(2)図版・写真が豊富で、これらのほとんどがカラーで見やすい
(3)美しい装丁がなされている

「AFTERNOON 四季賞 CHRONICLE」
個性的なタイポグラフィがきわだつ箱の中に、渋いデザインながらも箔押しが
施された小さなコミック本が詰められていて、さながらコミックの宝箱。

「完本 本因坊丈和全集 全四巻」
桐箱、手になじむ感触の布表紙、和綴製本、どれをとっても上品な仕上がり。

「精選版 日本国語大辞典 全3巻」
1巻2000ページ以上、重量3kgに耐える角背製本、背を二重にすることで重みに
負けず、本の開きを良くしている(開くと背と表紙がペタンと机に着く)。
パソコンと共存できる機能的で美しいデザインとのこと。確かに机や本棚の中に
ぴったり収まりそうだ。

◆ドイツの本

「シリンベル療法ハンドブック 増補改定第3版」
 医療の専門書である。膨大な量の情報を文字、図版、イラストを無駄なくレイアウト
し、色を効果的に使うことによって、読みやすいものにしている。

「場所」
ミア・ホッホラインが制作した個人出版。場所、開発、道、軌道などを芸術的視覚化
のテーマにしたとのこと。手組み活版、シルクスクリーンの印刷、かがり綴じなど、
すべてにおいてこだわりを感じさせる。

「筆生バートルビー タイポグラフィーライブラリー第6巻」
黒地に、わずかに読めるほどのダークグレーの文字とコンマやピリオドといった記号だけ
白文字の組み合わせで、バートルビーの(内面)生活が表現されているとのこと。
この何枚もの黒い紙をめくっていって、やっと白地に黒文字のページが出ている。
内容にあわせて独自の体裁を考えた本である。

「移動プロジェクト」
膨大で雑多な情報をうまくまとめた本。850余のページ数を読む上で、空白が大きな
割合を占めるページが所々に挿入されているのも眼を休めるのにちょうどいい。



 今回展示された本はいずれも構成、編集、レイアウト、ブックデザイン(特に
タイポグラフィー)、装丁、印刷、製本のすべてにわたって厳しい審査を通過した
ものだと思う。それに加えて、ドイツの本は実験的な本という部門があり、独自の
こだわりがある本が見られてよかった。

 ブックデザインに関してはなかなか言葉や写真だけでは伝わりにくい。是非手に
とってみてほしいものである。
[PR]
by imymegallery | 2007-02-28 22:53 | 展覧会の感想
ネタばれ注意「ビル・ヴィオラ-はつゆめ展」
先週の日曜日に兵庫県立美術館で「ビル・ヴィオラ-はつゆめ展」を鑑賞
しました。諸事情により書くのが遅くなりましたが、感想を書きます。
 この展覧会は3月21日(水・祝)まで同館で開催中です。
いま詳しい内容や批評を読みたくないという人はここから
下は読まないでください。

---------------------------------------------------------
 この展覧会はビデオ・アーティストの第一人者であるビル・
ヴィオラの大回顧展である。私としては、映像の分野のアー
ティストを単独で紹介する展覧会を美術館という大きな規模で
鑑賞するのは初めてなので期待と、ビデオ・アートという
鑑賞に時間を要する展覧会を鑑賞して果たして身が持つの
だろうかという不安を抱えながら会場に入った。

 いくつか心に残った作品をとりあげて感想を書いてみる
ことにしよう。

「クロッシング」という作品では、炎で覆われようとしている
男の映像が現れた。炎はやがて男を焼き尽くして、徐々にその勢いを
弱めていき、最後にはあとかたもなく消えた。この作品はスク
リーンの両面で違う映像が映されており、もう片方の面では男が
水に飲み込まれていく。男が火や水に飲み込まれる時の大音響は、
火や水自身が持つ恐ろしい力を強調しているように思った。

「驚く者の五重奏」は、そのモチーフや構図から(レンブラントの
写実的な)絵画のように見えるが、じつは超低速で再生しているため
まばたきのようなわずかな動きまではっきりわかる。そして全体
としては「五重奏」の名の通り5人の人物が驚きの表情へと変わる。
映像ならではの作品である。

「サレンダー/沈潜」は、モニター画面を縦に2つ並べて、その境界線に
をはさんで対称に赤い服を着た人と青い服を着た人を映し、水面に顔を
つける動作を繰り返す。それをただ繰り返すだけではなくて、ぐにゃぐにゃ
とした動きで、人間というよりは何かぶよぶよとしたものの塊が動作して
いるように見えた。

「グリーティング/あいさつ」「ラフト/漂流」この2作品も超低速再生
により、単なる「動き」が極めて劇的なものに変わる。「グリーティング/
あいさつ」は画面左から人物が現れた瞬間、何十年ぶりかの再会のような
ドラマを感じさせるし、「ラフト/漂流」は様々な人種、性別、年齢の
集団が強力に放出された水に、わけへだてなく押され、ずぶぬれになる。
最後には放水は止み、再び立ち上がる人の姿が印象に残った。

 そして「はつゆめ」。これはビル・ヴィオラの創作上の転機となった重要
な作品とのこと。ヴィオラ自身が日本に滞在していた時に、日本の自然や
文化に触れて創った作品である。ヴィオラが日本で出会ったものへのまなざし
が、夢幻的にめくるめくイメージとなって伝わってくる、どこまでも静かで
美しい作品であった(あまりに夢幻的なゆえ、途中で本当にうつらうつらと
してしまったが)。

 なお3/3(土)午後2時~ミュージアムホールにて「ビル・ヴィオラ・アー
ティストトーク」と題してビル・ヴィオラ御本人が講師をつとめるそうだ。
少しでも興味がある方は行ってみるのもいいかも。詳細は
兵庫県立美術館のサイトを参照されたし。
[PR]
by imymegallery | 2007-02-22 22:25 | 展覧会の感想