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果てしない苦しみ
毎日毎日、働き続けている。怒られ続けてやり甲斐も感じなくなり、
充実感などまるで感じずただただ疲労ばかりを感じ、新緑が恨めしく
てたまらなくなり、日曜日の昼下がりにバスに乗って郊外へ出た。

新緑や野の花を美しいと見とれながら歩いているうちに人里を離れ、
小川が流れる森の中を歩いているうちに、私は何度も首を吊りたくなった。
そのうち歩き疲れ、急な石段の前にたどり着いたところで引き返した。
帰途でも、森にいる間はやはり何度も首を吊りたくてたまらなかった。
新緑を美しいと感じる心も薄れていった。

働くということは、私にとってかくも恐ろしいことなのだ。
だから、私はもうすぐ働くことをやめるつもりだ。
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by imymegallery | 2006-05-23 19:15 | 日常生活の一部
現実逃避したくて
こんなニュースを見つけた。
以下、http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/news/20060517k0000m040155000c.html
より引用。

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生命:星の材料からアミノ酸のもと

 星の材料を再現した氷状の混合物に宇宙を飛び交うのと同じ高エネルギーの放射線を当て、アミノ酸のもとになる複雑な有機物を作り出すことに小林憲正・横浜国立大教授(分析化学)らの研究グループが成功した。アミノ酸は生命活動を支えるたんぱく質を構成する物質で、生命の素材が宇宙で作られたとするシナリオを裏付ける成果だ。千葉市で開催中の日本地球惑星科学連合大会で17日に発表する。

 研究グループは、宇宙で星が形成される場となる暗黒星雲を構成するメタノール、アンモニア、水の混合物を液体窒素で氷点下約200度に凍らせた。暗黒星雲は同約260度と極低温のため、その状態に近づけた。

 放射線医学総合研究所(千葉市)で、この氷状物質に高エネルギーの放射線を照射すると、数時間で有機物が生じた。有機物の分子はアミノ酸の約20倍の重さがあり、水に溶かすと数種類のアミノ酸ができた。この有機物は熱や放射線に強く、アミノ酸が単独で存在するより壊れにくいことも分かった。

 地球の生命は約38億年前に海で誕生した。従来は、紫外線や雷などの作用で大気から生じたアミノ酸などが生命の素材になったとされていたが、最近は、原始大気はアミノ酸が生じにくい組成だったとする研究も多い。

 研究グループは、宇宙空間で生成された有機物がいん石やすい星に取り込まれて地球に運ばれ、海で進化して生命が誕生したというシナリオを提案している。

 実際に、いん石やすい星からは複雑な有機物が見つかっており、小林教授は「宇宙で生成される有機物の具体的なイメージが初めてつかめ、地球外で生命の素材が作られたことを示すことができた」と話している。【須田桃子】

毎日新聞 2006年5月17日 3時00分
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by imymegallery | 2006-05-17 23:03 | その他
Online shopからと知恩寺手づくり市出店のお知らせ
いつもオンラインショップをご利用いただいている皆様にお知らせです。
5/15の注文分より一部商品の価格を改訂することになりました。いつも
お買い上げの方には誠に申し訳ございませんが、諸般の事情により改訂
させていただくこととなりました。ご了承ください。詳しくは
オンラインショップをご覧ください。

あとイベント参加予定です。
5/15(月)7:00頃~日没 知恩寺手づくり市(京都市・知恩寺)
久しぶりの参加です。皆様も是非お越しください。
(なお当日の天候および私の体調により予告無く出店を中止することが
あります。あらかじめご了承ください)
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by imymegallery | 2006-05-12 21:34 | お知らせ
ひたすら平和が在ることを祈るのみ
 先日、河原町の古書店で「語りつぐ戦争体験1 ぼくも
わたしも梅の花」(草土文化)を見つけたので買った。この本は私が中
学生の時に読んだ戦争体験記のシリーズの中の1巻である。
いま読んでみて、あの頃私はこの本を図書館の隅っこで
むさぼるように読んだのを思い出した。

 ほぼ同時期に、私たちの学年は社会見学として広島へ
1泊2日の旅行をした。広島平和記念資料館とか原爆記念公園、
原爆ドームなどを見学したり、夕食後には被爆された方々から
お話をきいたりもした。ただ片道6時間のバス移動ですっかり
乗り物酔いをしてしまい、詳しいことは覚えていないのが
残念だが。

 私は当時、この年齢くらいに学校全体で戦争に関する本を
読んだり、広島とか長崎とかへ行くのは当たり前だと思って
いた。しかし、大人になってからの友人に尋ねたらそうでも
なかったらしい。

 あの手記を書いた人たちはその後どうしておられるだろうか。
 あのときお話をしてくれた方々はまだご健在だろうか。

 私は一生銃を持ちたくない。一生絵筆は持っていたいけれども。
そして人を殺したくない。人の命って、一番大切だよ。
私にとっての尊厳は、命を抜きにしては考えられない。

 私は平和を希求する。私の立っているこの地から、数億光年の彼方まで。
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by imymegallery | 2006-05-10 22:00 | その他